——柚木視点
工場の隅で、止まったままの1号機を眺めていた村井くんの背中は、思っていたより小さかった。
「なんとかしないといけませんね」
そう声をかけた私に、彼は一度だけ振り返り、曖昧に笑った。
彼がここに来て、まだ半年。
けれどこの空白に対して、誰よりも責任を感じているのは、たぶん彼なんだろうと思った。
1号機が完全に停止したのは、月曜の朝だった。
補助金で導入された新型プレスは、結局一度もまともに動かないまま。
書類上は立派でも、現場にはあまりに遠い存在だった。
——どうするつもりなのか。
翌日の役員会議。事務方の立場ではあったが、私は出席を願い出た。
「現場は疲弊しています。手当ての予定を、何か——」
「次、もう動いてるよ」
専務が言った。
「中古のプレスを手配中だ。急ぎ案件だから、段取り優先でな」
「……中古ですか?」
声に力が入ったのが、自分でもわかった。
「どこのメーカーの? 熱板サイズは?操作系は? 保守部品、まだ入手できるんですか?」
「そんな細かいこと、今は後回しだろ」
専務が不快そうに眉をひそめた。
「こっちは一刻も早くラインを再稼働させたいんだ。納期も品質も背負ってる。ヒアリングなんてやってる余裕、あると思ってるのか?」
頭が熱くなるのを感じた。
「“余裕がない”からって、現場が何でも受け入れると思わないでください。
動かせない機械を入れて、余計に混乱する未来が見えないんですか?」
社長が、両手を上げて間に入る。
「まぁまぁ……柚木さんの言い分も分かる。でも今回は、仕方ない。
とにかく一台でも動かすのが先決だ。協力してくれ」
それ以上は言えなかった。言えば、自分の感情が先に壊れてしまいそうだったから。
数日後。中古プレスが到着した。
トレーラーのカバーの下から姿を現したその機械を見て、私は思わず息を飲んだ。
古びた緑の塗装、今では見かけない制御盤の形状、誰も知らないメーカー名。
配線も、ホースも、どこか頼りない。
「これ……動くんですか?」
誰かがつぶやいた言葉に、誰も返さなかった。
試運転の日。私は少し離れて、現場の様子を見ていた。
熱板はなかなか昇温せず、油圧シリンダーは加圧のたびに重く軋んだ。
そして焦げたような匂い——明らかに、油が熱に負けていた。
中堅のオペレーターが手を止め、静かに後退る。
空気が、すうっと冷えた。
「……1枚だけ、サンプルを流そう」
製造部長の声が場に落ち、誰かが操作盤に手を伸ばす。
——ガンッ。
偏った材料が押し潰され、断熱板が歪み、熱板の隙間から油がにじんだ。
誰も、声を発しなかった。
ただ、手慣れたように雑巾と養生テープを持ち出して、後始末に入った。
そのプレスは、一週間後にはビニールで覆われ、工場の隅に追いやられた。
「導入失敗」とは、誰も言わなかった。
言ってしまえば、責任の所在を問われる。だから、皆沈黙した。
でも——
現場の人間は、分かっていた。
あれは、“選択肢”ではなく“妥協”だったことを。
あれから、村井くんは以前より現場を歩くようになった。
ノートを手に、黙って作業者のそばに立ち、時には手を動かし、油のにおいに顔をしかめながらも、何かをつかもうとしていた。
ある日、工具を片付けていた私にぽつりとこぼした。
「自分がやらなきゃ、誰がやるんだろうなって。最近、よく思うんです」
少し照れたような、でも覚悟のにじむ声だった。
その時、私は初めて——ほんの少しだけど——この人についていってもいいのかもしれない、と思った。
あの空白を、本当に埋めたいと思っているのは、今は彼なのかもしれないから。
もくじ
【第3話 解説】—— “間に合わせ”が招いた沈黙
〜中古プレスは、正しく選べば「これからの時代」に適した最適解になる〜
今回のストーリーでは、止まったホットプレスの代替として中古機を拙速に導入した結果、現場がさらに混乱した事例を描きました。
しかし、これは「中古機は使えない」という話ではありません。
むしろ中古プレスは、コスト・納期・持続可能性の面で、今後ますます重要な選択肢となっていく存在です。
ポイントは、“急がず、正しく選ぶ”ことに尽きます。
🔸中古プレスのメリットと可能性
● 納期・コストの面で大きな優位性
新品機の製作には半年以上かかることも。中古機なら即納・即稼働のチャンスがあるため、短期間でラインを復活させたい現場には強い味方になります。
● 必要最小限で導入できる“ちょうどよさ”
過剰な最新機能が不要なケースでは、中古の方がむしろ現場にフィットすることも。
予算や用途に合わせて選べる柔軟性も大きな魅力です。
● 使い慣れた形式なら教育・運用コストが抑えられる
既存設備と近い構成の中古機なら、操作教育や安全対応の負担が減少し、スムーズな立ち上げが期待できます。
🔸中古プレス導入で“失敗しない”ための実践ポイント
1|「どんな使われ方をしていたか」を必ず確認する
中古プレスの寿命や状態は、「見た目の年式」以上に、「使用履歴」が左右します。
金型を頻繁に交換していた場合:熱板が偏摩耗・キズ・段差などで痛んでいる可能性があります
常用温度が高かった場合:熱媒体油の劣化や、循環系(配管・シール)の焼きつきリスクがあります
タクトタイムが短かった場合:累計ショット数が数百万回に達していることもあり、シリンダーやガイドのガタつきに要注意です
2|メンテナンス体制・部品供給の可否を確認する
メーカーが廃業していても、汎用部品や互換パーツで維持できる機種もあります。ただし、見極めには専門知識が必要です
取扱説明書や油圧・電気図面の有無
シール材やパッキンの型番が明示されているかなど、保守性のチェックは必須です
3|現物を必ず「自分の目で」確認する。可能なら試運転も
図面や写真だけではわからない、「動作のクセ」「摩耗」「打痕」などの情報は実物を見ることではじめて分かるものです
可能であれば、日頃ホットプレス機を扱っているオペレーターに同行してもらうと、思わぬ指摘が得られることもあります
▶次回予告
「もう一度、あの図面を、読み直してみようか」
そう村井がつぶやいたのは、偶然見つけた古いファイルを手にしたときだった。
そこには、元ベテラン社員がかつて描いた“再生計画”の痕跡が残されていた——。