――専務・小野寺隆視点
中古プレスの報告書を見た瞬間、正直、頭が痛くなった。
見つけてきたのは俺だ。半年前、納期も資金もない中、客先との信用を守るために、あらゆる伝手を使って手配した。急場しのぎとはいえ、あの時点で“最善”だったと信じている。
だが、結果はこの有様だ。
板倉という技術屋からは、「復活させるには新品と同等、あるいはそれ以上のコストがかかる可能性があります」と、ストレートに突きつけられた。
——処分しましょう。
そう言われたとき、俺は思わず口の中で舌打ちした。
「対して、1号機はよくメンテナンスされています。年式は古いですが、消耗部品と熱媒体循環系統を更新すれば、十分戦力になります」
板倉は、まるで冷静な医者のように診断を下す。
現場が“あの機械を残したい”と願っているのは、俺だってわかっている。
だが、現実は数字だ。コストと回収の見通し、それがすべてだ。
そう思っていた。
「こちらが、再生プランの全体像です」
板倉が資料を壁に貼り出す。
そこには年次ごとに明確に段階化された、3か年の設備更新計画が示されていた。
「まず、1年目――つまり今年。早急に対応すべきは1号機です。
本体はまだ十分使用に耐えますので、熱媒体循環ユニットのみを交換します」
「2年目には、2号機のシリンダーパッキンと作動油の交換を実施します。
3年目には、3号機の熱媒ホースおよび熱媒体油の交換を予定しています」
「これらはすべて、劣化が顕在化しており、見過ごせません。計画的かつ迅速に対応する必要があります」
俺は無言で資料に目を通した。的確だった。
予防ではない、明らかな“対症”としての措置が並ぶ。
板倉は続ける。
「これに加えて、今後はオイル漏れなどが発生した際には、その都度、該当部位の消耗部品交換を実施します。
また、オイル交換は2年に1度の頻度で、あらかじめ年間計画に組み込み、確実に実施していきます」
「さらに、現在はベテランの古賀さんが自主的に行っていた開始前点検・月次点検・年次点検。
これを点検マニュアルとして明文化し、誰もが対応できる体制をつくります。
こうして、我々の大切な資産を、長く、確実に守っていく」
その語り口に、一切の無駄がなかった。
……なるほど、と思った。
数字しか見ていなかった自分が、少し恥ずかしくなるような、
“継続”と“実行”に根ざしたプランだった。
そして最後に、板倉は資料を一枚めくった。
「補助金プレスの活用について、ご提案があります」
会議室が静まり返る。
「このプレスは高性能かつ操作が直感的で、誰でも使えます。
確かに、熱板サイズは小さいですが、試験用途であれば十分対応可能です」
「今後、顧客からのテスト依頼で、たびたび本ラインが止まってしまうと聞いています。
この補助金プレスを試験専用ラインとして再定義することで、現場の稼働率を落とさずに済みます」
「加圧力、温度制御、冷却時間――
すべて数値で詳細に再現可能なこの機械は、実は“お宝”なんです」
……お宝。
俺の中に、小さく何かが響いた。
柚木がふっと笑いながら言った。
「私がやるわ、試験対応。あの操作パネルなら私にもできる。
ただし、重いものがあったら、専務も手伝ってね?」
俺は、苦笑いを浮かべながら答えた。
「……まあ、肩ぐらいは貸してやる」
会議室の空気がふっと柔らかくなった。
その時だった。
若いオペレーターが、ぽつりとつぶやいた。
「古賀さんがいてくれたらな……」
古賀という名前を、今日だけで三度目だ。
止まったままの1号機に、再び息を吹き込めるとしたら、あの男しかいない。
——古賀弘道。
俺はその名を、今度こそ正式に口にした。
「古賀さんには、ぜひこのプロジェクトに参加していただきたいと思います」
村井と柚木が、同時にこちらを見た。
“今度こそ”という目だった。
10年前、俺がもみ消した再生案。
今度は——背中を押す番だ。
もくじ
【第5話 解説】—— “全体を見る”という覚悟
〜目の前の修理ではなく、「3年先の姿」から逆算する再生計画〜
第5話では、会社の意思決定を担う専務・小野寺の視点から、ZeroPressが提示した3か年の再生プランと、それを巡る会議の攻防が描かれました。
テーマは、現場の思いと経営判断のはざまで、どのように「最適解」を見つけるか。
そして、一度失った信頼を、どう取り戻していくかということです。
🔸再生は「今だけの話」ではない
板倉が提出したのは、“今すぐ治す”修理計画ではなく、1号機〜3号機までを3年かけて整備し直す再生ロードマップでした。
このように、先を見据えた整備方針を持つことで、都度の「場当たり対応」ではなく、予防・維持・継承の全体像が見えてきます。
・1年目:1号機の熱媒体ユニット交換(早急対応)
・2年目:2号機のシリンダーパッキン・油圧系の更新
・3年目:3号機の熱媒ホース・熱媒体油の交換
・以降:定期的なオイル交換と消耗部品更新のルール化
これにより、「老朽化した設備」ではなく「管理された設備」として再定義され、再生の根拠が“感情”ではなく“計画”に変わるのです。
🔸現場任せだった“点検文化”の仕組み化
板倉は、古賀が長年自主的に行ってきた「点検ルーティン」にも光を当てました。
ベテランにしかできなかったノウハウをマニュアル化することで、属人化から脱却し、誰でも守れる資産管理体制へと進化します。
この提案は、単なる設備維持ではなく、現場文化そのものを守り続ける“未来への設計”でした。
🔸補助金プレスは“失敗の象徴”ではない
一時は“使われていない失敗設備”として現場でも語られていた補助金プレス。
しかし板倉は、この高性能機を試験用途に特化させることで、
現場を止めずにテスト対応できる「第4のライン」として蘇らせました。
これは、“失敗”とされたものも見方を変えれば戦力になるという希望の提案でもありました。
柚木の「私がやるわ」という言葉は、現場と経営の距離が縮まったことを象徴するワンシーンでもあります。
🔸「会社を守る」とは何か
専務は、これまで誰よりも頭を下げて外と向き合ってきた男です。
その彼が、過去に握り潰した再生案と向き合い、かつてのキーマン・古賀の名前を自ら口にした。
そこには、組織が本当に変わろうとする兆しがありました。
数字だけではなく、技術だけでもなく、現場と向き合いながら「全体を見る」覚悟。
それこそが、今の製造業に最も求められている姿勢かもしれません。
▶次回予告
「戻ってきた、1号機」
誰もがその姿を待ち望んでいた——
再生されたプレスに最初に手を添えたのは、あの無口な男だった。
次回、第6話「古賀、再び」